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和馬・・・目覚める

人は・・・・どこでスィッチが入るかわからないものですね。

お掃除マンに突然なって・・・・今日はゴミが11袋・・・。

ごめんなさーーーい。と・・・出しすぎのごみに恥ずかしさを感じつつも・・・

こぎれいな和馬の部屋に安堵???

このまま・・・掃除のスペシャリストになりそう・・・。


いいことだぁぁぁぁ・・・と、思いつつも、ここまでハマる和馬は、いつもながらすごい。


明日・・・久々の神奈川・・・。

横浜は、結婚の時に移り住んで・・ゆっくり・・訪れるのは・・・10年はなる。

記憶は、すぐに遠くに・・・。

いったいどこで何しよう・・・・なんて一瞬思う。



今日バスティン研究会が我が家であった。

12人でわいわい・・・。

とっても、良い時間で・・・・感謝感謝・・・・。


一年間のいろいろがでそろって・・・・。

みんなで考えるって楽しい。

ささやかに導入法の教材にハマり・・・毎日・・・・ああだこうだ・・・しつつやっていますが
夢中になるってやっぱりいいね。

ひすいさんの以前のメルマガに・・・バッハのことがあったので紹介します。


ドイツの巨匠、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。


一族郎党みな音楽家、という家系に生まれたバッハは、
作曲の才能もさることながら、
オルガン弾きとしても卓越した存在でした。

あまりに弾けるので
オルガンが新しく作られた際には、新しい楽器の鑑定も頼まれていたほど。


そんな超一流オルガニストのバッハが、
生涯でただ一回、


「どうしても、この人のオルガンが聴きたい!」
と切望したことがあるのです。



時は1705年10月。

当時、ドイツのアルンシュタットという街で、
教会オルガニストとして働いていた20歳のバッハには、
憧れの人がいました。

それは、アルンシュタットから約400キロ離れたドイツ北部の街、
リューベックでオルガニストをしていた、ディートリヒ・ブクステフーデです。



ディートリヒ・ブクステフーデ



バッハの憧れるディートリヒ・ブクステフーデが勤めていた聖マリア教会には、
名器として知られたオルガンが設置されており、
こちらも、オルガニストたちにとって憧れの的でした。


とはいえ、遠方のリューベックまでなかなか行けるものではありません。

400キロも離れてるんです。


400キロ離れてても

でも聴きたい……
でも聴きたい……
でも聴きたい……
でも聴きたい……







バッハは一大決心をし、
アルンシュタットの教会に4週間の休暇願いを出し、
リューベックへと向かうのです!


徒歩で。



バッハは約400キロの道のりを、てくてく歩いて、
リューベックまで行ったんです!
交通網の発達していない時代ですから。

作曲家に関するこういう話は、たいてい逸話が多いのですが、
バッハのこの話は本当で、
彼は徒歩でアルンシュタットからリューベックまで歩いていったのです。

ディートリヒ・ブクステフーデの演奏に感激したバッハは、
教会と約束した「4週間」の休暇を、
無断で「4ヶ月」にしてしまい、1705年10月から1706年2月まで、
ディートリヒ・ブクステフーデの演奏を聴きまくったのです!


……その間、アルンシュタットの教会はどうなっていたのか、他人事ながら心配してしまいます。


そして、アルンシュタットに帰ってきたバッハですが
3ヶ月の無断欠勤によって、教会からさんざん怒られます。


しかし
しかし
リューベックでの「聴きまくり」の影響が生きてくるのです!
当時としてはかなり斬新な演奏をバッハはここから始めるのです。


……が、斬新すぎて
さんざん非難されたそうです(笑)



しかし、
しかし、
その後、
65年の生涯で、約1100曲の作品を生み、
バッハは伝説になります。



400キロの道のりはバッハにとっては大したことではなかったんです。

人が本気になるってそういうことですよね。

「どうしても聴きたいんじゃ!」
バッハはその一心だったんです。



「今日の汗、明日輝く」
という言葉がありますが、


「今日の本気、とわに輝く!」



バッハを見ていて思ったことです。




ひすいこたろうさんの文です・・・。


昨日・・・ある方のお話とシンクロしますが・・・

女の人は・・・危ない冒険しない・・・賢いんだそうです。

男の人は・・・それがロマン・・・。

覚めた目でみると「何やってんの???」ですね。

と、覚めていたりもするけど・・・わたしね・・結構ロマンにはまるかも・・・。

結構「ばかなこと」やってる気がする。

by u-on358 | 2009-05-08 23:22 | マイライフ | Comments(0)